superflyさんの新しいアルバムいいっすね。
まだ1枚目しか聴いてないけど、しょっぱなからロックなリフでかっこいいし、DVDも入ってるし。年明け2月に埼玉スーパーアリーナ行きまーす。
今週末はFM横浜アリーナへ行ってきまーす。
今年が終わっちゃいまっせ。
月日は百代の過客にして・・・
『Repeat』
電車に揺られ町を出た時には
退屈な日常から抜け出そうって思ってたのに
またいつものコース どこかさえないけど
思いつきのアイデアを 形にしようと持ち帰り
こうして何度も やり直してみるんだけど
あと一歩何か足りない こうして
また別の幻形(かたち)ができ上がっていくんだ
ファインダーを通る いくつもの軌跡
どんな迷いもない ひとつのラインを
君と見つけられたなら
実はこれラブソングなのです
目的もないまま降りた駅には
憂いとか悩みとか置いて行こうって駄目かな
またいつものケーキ 買って帰るけど
写真に写った偶然は 2度とは会えない日常で
あの日の事は 弾けた後のシャボン玉
確からしさも測れないまま こうして
また別の幻形(かたち)ができ上がっていくんだ
ファインダーを通る いくつもの軌跡
どんな迷いもない ひとつのラインを
君と見つけられたなら
実はこれラブソングなのです
雨上がりのアスファルトに広がった
青空をFlying さあ次の空へと
君を感じて嬉しくなって I'm fineだ
時間は止まないさ I'm fineだ
人間が生活する中で貨幣流通が発生しますが、多くの人が働いていないと流通しないし、消費しないと生活できないし。生きるために働いて循環する。というイメージを持つと、いつも当たり前のように通り過ぎていた建造物も、これだけ大きな物が建つのにどれだけの社会的な基盤が必要なのか?とか思いますけど。これだけたくさんの人が関わって、(それぞれが知らない所で)どんな風に変わっていくのか。一言で言ったら分業だけど。うーん。奥が深い。自由主義社会だとか言ってなにも計画性がないわけではないか。公共投資?税制度とか貨幣循環を決めるルールはあるけど、それでどれだけ秩序だっているんでしょうか。バランスっていう言葉だと曖昧か。
(11/9)
こないだ(といってももう数年前)に作ったプログラムでは、需給調整の増減をきっちりルール付けましたけど、現実世界の生活においても需要にはプラス側とマイナス側の動きが結果としてわかる統計値としてあって(もちろんその根底には1件の消費がありまして)供給側でもそうだけど、何を書きたいかというと、自律分散であると、あんまり無駄が大き(誰も得しない、持続不可能)な事はしないでしょうから、その意味で"調整"される。その調整は、全体を見渡せなくても、(先の将棋の例のように)2~3手くらいの範囲で持続可能な(と思う)判断をすればよい。(結果的に持続可能でなければ倒産などの結果になりますが。)
当たり前すぎて、何を書きたいのかぼやけたけど、皆で仕事をして必要な財・サービスが提供されて、必要とされるだけの量が消費され(裏では貨幣が流通)、そうこうしているうちに、こんなに生産技術的にも社会が成長してきています。という事で。みんなで働いて、みんなで消費して、この世は回っている。
これをシステムの基盤としつつ、社会的な云々カンヌンを含めて動いていますか?とか、システム上のあまりよろしくない点を議論しましょうと。
ちょっと同じ匂いがする本『経済学の犯罪』を読んでみます。
(11/11)
これでアダムスミスさんの言いたい事が少し分かったかもしれませんが、ここから、"調整"に最適化を組み込むと別のルートに至るようで。個の最適な調整とだけで済ませてしまうとそれで話は終わってしまう。(消費者が家計部門だけのモデルだとすると)最終的な消費という単位であれば個人に委ねられるとなるかもしれないけど、労働とか供給側の調整・賃金分配・資本家の投資等あれこれを含めるともっと生々しい感じに見えるのかなという所なので、このお話もあと一歩つっこまないといけませんね。
(11/)
複雑ネットワークってどんな道具でしょうか。
どれくらい繋がりがあればこのシステムが動いていられるのかとか。バランスとか。
エリッククラプトンさんのライブで一番驚いたのはサポートメンバーの人の歌声your beautiful day♪うわっってなりました。70歳というご年齢もあってツアーはこれで最後らしいですが、来年も来日されるようなので、一度生で聴いてみたいものです。
ギターのスイッチ周りの改造中なので、終始ボリュームポットの位置が気になってしまった。結構手首で弾いてるんですね。その後youtubeでSRV様の映像を見たら5Wayスイッチガチャガチャいじってるじゃないですか。ひとつの奏法みたいにして使っていたり;僕は腕を振って弾きたいと思ったからスライドスイッチに変更するところなのですが。うーむ。あと半月くらいで修理から帰ってきます。フレットのすり合わせもしてもらって、どうなるかな。
そして今年のライブ納めはFM横浜の30周年イベントになりそうです。ああ、今年ももう暮れに近づく。なにかせねば。という気分に。
あまり並列的に考えていない。脳の仕組みは知りませんが、人間は並列処理で思考はしていない。ある程度考えずに、、というのはあるかもしれません。なんの関連性もない深い思考を複数同時には無理ですね。
目の前の盤面の判断で難しい局面のケース、例えば家を買うとか、金額的に大きいとか将来の安定性などが問題になるとき、結婚とか。これは2~3手で詰むような問題ではなく、30手先を読むようなものかもしれません。つまり、どうなるのか分からないけど、決断しようとしている時には何らかの答えを出さなければいけない。将棋でも何らかの手をささなければいけないように。でも、最後まで答えを出さなくてもよい問題も中にはある。
ある程度「変わらない」という事が安定性をもたらし、少し遠い将来の決定をしやすくしている。「変わらなさらしら」。でも、どうなるか分からない・・・と続けると、「変わらないと思っている思い込み」が将来の決定をしやすくしている。と言えるのか。
これは何だかプログラミングで表現できそうだな。数ターン変化がないと、その先の決定について、過去と同じ動作を繰り返えし"ルーチンワーク"、将来にわたり(能動的に?)継続しようとする。または、その問題・リスクに対して考えることをやめてしまう。喉元過ぎれば・・・。
(11/8)
「変わらない」たとえ変わったとしても、何とかしなければいけない。あるいは積極的に変わっていこうという事もあるでしょう。事と状況次第か。
小さいころに経験していたサッカーをしていた時の、体が旨く反応して、相手とボールの間に体をいれたり、ちょっと先を読んでみたりしたり1対1で闘ってた感じ。どうも大人になって、そういう時の集中した感じとか、体が反応するような事がなくなって、動物的なものなのか勘っていうのか何かが足りなかったなと。それなのに最近こういう時の、なんと言ったらよいのか分からない、けど何かあるモヤモヤっとしたものが、また、蘇ってきた?思い出してきた?かもしれない。まだはっきりとは認識できない。
これはいったい何だろう。
1か月ってすごく早いですね。ライブに行ってからもう1か月たちましたか。
コンピュータソフトと人間の将棋対局を繰り広げた一つのプロジェクトが目的を達したとの事で終了宣言をするらしいです。なんでも統計的に数年後はもはや人間はかなわないらしいです。(これまでの歩みは『常識外の一手』(新潮新書)で現場のお話が聞けます。全部は読んでないけど。)
将棋というゲームは、相手と互いに一手一手指していくうちに終局を迎えるわけですが、ゲーム開始前は無数の可能性があり、進めるにつれ勝敗の可能性はどちらかに傾いていく、つまり結論が出るわけです。終局前には、詰め路の道を外さずに進めば、勝敗が決している状態になります。
さて、これを僕が教わった経済学にあてはめると、合理性というのは、ゲーム開始前の状態で最適な解を見つけようとしているのでしょうか。
一方で、私は学生の頃に、自玉にツミがない状態であったと思っていたのに、詰めろの途中で読み間違えたとか、人間はそれほど賢い存在ではない、人間の限界を認めると経済学はどうなっちゃうの?と、いうような考え方を教わりまして、このブログもその路線そのまんまです。(そもそも勝つ気がないので勝負を放棄した。という事もなきにしもあらずですが、それではお話になりませんね。)
僕ももちろん間違いをして後悔をする事もありますが、それでも良しと思えるうちは幸せなのかノーテンキなのかもしれません。買う・買わないの判断をするときの状況に将棋盤を持ってくるとすると、買おうか・買わないかを考えている時点で目の前には将棋盤があります。どちらにするのか悩んでいる状態は終局間近です。途中で関心が別に移る場合もあり、盤を離れたことになります。つまり終局間近で判断がさほど難しくないような状況が多数目の前にあるのではないでしょうか。
それに人間の欲求がからんできて、例えば、食べなきゃ飢えるけど、月の給料の手取りがこれだけあるから買っていいか。とか、買っても邪魔になるだけだから要らない。バナナよりイチゴオレが好きとか。音楽鑑賞より映画を見に行きたい。今よりいい車に乗りたい。
人には様々な状況があり、欲求があり、それがある程度、前提条件として盤面に並んでいます。あとは、「買う・買わない」「する・しない」だけが目の前にあって、なんとなく「する」とか決めて、でも後で後悔したりして。どっちでも大差はないんだけど、それぞれの決定で自分が形作られているなあと思ったりしました。
こないだの話では、ミスチルのオフィシャルサイトをチェックしてみたら2マンライブがあると知る。さて盤面が用意されました。チケット抽選の申込みができるそうです。第一希望の公演を決めなければいけません。候補は東京のアジカンと大阪公演のエレカシ。どちらかといえばエレカシの方がよく聞いていたので大阪に行きたいなと。そして、申し込みをして1週間くらいした今、公演日が平日だった事に気づきました。明らかに限定的な材料でしか判断していませんでした。オチが自分の馬鹿話でした;(で、結局当選に外れたんだから、迷う事なかったなとか?後日思ったり。結果とはそういうものでもある。)
はたまた来年の3月には仕事が忙しくなって行けないかもしれないけど、コンビニに貼ってあったポスターをみて、山﨑まさよしさんのライブのチケットを買う。ポスターを見た時には、目の前に盤面があって、既に終局間近。パンを焼くでもなくてパンを買いに来ただけだったのですがチケットが買えちゃいました。
また、ただの知り合いだけどお菓子を持っていくと喜んでくれているらしいから次は何をもっていこうかな?とか。このように多少結論が違っても将来的にはさほど大きな影響がない事でした。
今BGMになっているのは、あまり聴いていなかったblood orangeです。6曲目いいな。曲のタイトルは何だろう?「花火」じゃないか。このごろの6曲目はStarting Overだったけれど、どちらも火薬の匂いがしますね。
人の出会いに感謝しつつ、紆余曲折して現在に至りますが、どんな盤面と向き合って、何がどうなってこれからどう進むのか。
あれ、これで書きたい事かけたのかな。
宮城から帰りました。仙台はこの土日ジャズフェスで、町のいくつかの場所でミュージシャン達が演奏していました。素通りした感じではジャズよりもっとポップな感じが多かったようです。ジャズが理解できないとか書いて申し訳ないっす。(腹がたってた勢いで書き込んでましたが伏せました。)そして、ミスチル様のライブではチケットが注釈つきでしたが、なんと、JENさんが柱の陰で肉眼で見えませんでした;ハードワークなことがトークから伝わります(いつもより?)が、見えていたのは大きなシンバルが揺れている所だけでした。もちろん花道での演奏&映像では見えました。それ以外の点はスタンドの5列目ってことで新潟の2階席の時よりもステージに近くてよかったです。新潟との違いといえば、もうずいぶんな秋な感じだな~と。前日の台風の影響はほとんどなかったようです。スピーカーにカバーみたいなのついてたな。中川さん側の花道脇でしたが演奏の様子を結構近くで見れました。桜井さんも花道の先端で歌ってくれてたし(ちょっと間違ったけど)、終盤でこっちの方に田原さんも手を振ってくれたし。キャーw。あっという間でした。足音でもteagurっていうギターを使っていなかったのはその前のライブで雨に濡れたせいでしょうか。会場で牛タンも食べれたし(牛タンは新潟の会場でも売ってましたね)カレーも牛タン入りハンバーグ入ってたし。ごちそうさまでした。ツアー最後の大阪での2公演も頑張ってください。次回に備えてファンクラブに申し込みました。
(後日談)
この日は天候にも恵まれていてほっと一息。最終の大阪前で少し緩い感じだったのではないでしょうか。
スタジアムツアーも夏の終わりとともに終わりを迎えてしまいました。僕も次のツアーまでにはこのエネルギーを何かに変えていきたいなと。
バケモノの子見て泣けました。エンディングの音量をもっとガツンとほしかった。
12日には宮城に行ってくるので、{Drip}漬けです。前は重たすぎたけど通して聴けるようになりました。(自意識過剰だと全部俺の話じゃねって思う所がちらほら。)足音がドキュメンタリーなんだなとか、勝手に解釈して聴いてます。登場する、皮肉、嘘、モンスターもろもろ。けっこうな曲がつながってますね。会場でみかんばこみたいなタオルを買おう。
ギターを修理に出して、ネックを1本制作してもらう見積もり中です。また職人さんにお願いできると思うとよい刺激になります。修理の方はフレットのすり合わせと5wayスイッチをスライドスイッチに変更してもらうようにお願いしました。
(9/23追記)
足音のイントロを弾いてみました。ちょっと小さな羽からメジャーな感じで歌いましょってとこが面白い。