1か月ってすごく早いですね。ライブに行ってからもう1か月たちましたか。
コンピュータソフトと人間の将棋対局を繰り広げた一つのプロジェクトが目的を達したとの事で終了宣言をするらしいです。なんでも統計的に数年後はもはや人間はかなわないらしいです。(これまでの歩みは『常識外の一手』(新潮新書)で現場のお話が聞けます。全部は読んでないけど。)
将棋というゲームは、相手と互いに一手一手指していくうちに終局を迎えるわけですが、ゲーム開始前は無数の可能性があり、進めるにつれ勝敗の可能性はどちらかに傾いていく、つまり結論が出るわけです。終局前には、詰め路の道を外さずに進めば、勝敗が決している状態になります。
さて、これを僕が教わった経済学にあてはめると、合理性というのは、ゲーム開始前の状態で最適な解を見つけようとしているのでしょうか。
一方で、私は学生の頃に、自玉にツミがない状態であったと思っていたのに、詰めろの途中で読み間違えたとか、人間はそれほど賢い存在ではない、人間の限界を認めると経済学はどうなっちゃうの?と、いうような考え方を教わりまして、このブログもその路線そのまんまです。(そもそも勝つ気がないので勝負を放棄した。という事もなきにしもあらずですが、それではお話になりませんね。)
僕ももちろん間違いをして後悔をする事もありますが、それでも良しと思えるうちは幸せなのかノーテンキなのかもしれません。買う・買わないの判断をするときの状況に将棋盤を持ってくるとすると、買おうか・買わないかを考えている時点で目の前には将棋盤があります。どちらにするのか悩んでいる状態は終局間近です。途中で関心が別に移る場合もあり、盤を離れたことになります。つまり終局間近で判断がさほど難しくないような状況が多数目の前にあるのではないでしょうか。
それに人間の欲求がからんできて、例えば、食べなきゃ飢えるけど、月の給料の手取りがこれだけあるから買っていいか。とか、買っても邪魔になるだけだから要らない。バナナよりイチゴオレが好きとか。音楽鑑賞より映画を見に行きたい。今よりいい車に乗りたい。
人には様々な状況があり、欲求があり、それがある程度、前提条件として盤面に並んでいます。あとは、「買う・買わない」「する・しない」だけが目の前にあって、なんとなく「する」とか決めて、でも後で後悔したりして。どっちでも大差はないんだけど、それぞれの決定で自分が形作られているなあと思ったりしました。
こないだの話では、ミスチルのオフィシャルサイトをチェックしてみたら2マンライブがあると知る。さて盤面が用意されました。チケット抽選の申込みができるそうです。第一希望の公演を決めなければいけません。候補は東京のアジカンと大阪公演のエレカシ。どちらかといえばエレカシの方がよく聞いていたので大阪に行きたいなと。そして、申し込みをして1週間くらいした今、公演日が平日だった事に気づきました。明らかに限定的な材料でしか判断していませんでした。オチが自分の馬鹿話でした;(で、結局当選に外れたんだから、迷う事なかったなとか?後日思ったり。結果とはそういうものでもある。)
はたまた来年の3月には仕事が忙しくなって行けないかもしれないけど、コンビニに貼ってあったポスターをみて、山﨑まさよしさんのライブのチケットを買う。ポスターを見た時には、目の前に盤面があって、既に終局間近。パンを焼くでもなくてパンを買いに来ただけだったのですがチケットが買えちゃいました。
また、ただの知り合いだけどお菓子を持っていくと喜んでくれているらしいから次は何をもっていこうかな?とか。このように多少結論が違っても将来的にはさほど大きな影響がない事でした。
今BGMになっているのは、あまり聴いていなかったblood orangeです。6曲目いいな。曲のタイトルは何だろう?「花火」じゃないか。このごろの6曲目はStarting Overだったけれど、どちらも火薬の匂いがしますね。
人の出会いに感謝しつつ、紆余曲折して現在に至りますが、どんな盤面と向き合って、何がどうなってこれからどう進むのか。
あれ、これで書きたい事かけたのかな。
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