神の見えざる手3(前編)

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またもや悟った事がある。そして至極当然のようだけれども。悟りって全部わかっちゃう事なんじゃないか、だったら違うのか。

一定期間の貨幣のフローについて、マクロ的に生産者から見たときに賃金として支払われる金額と、消費者が当期に消費した金額を比べてみる。その取引の中に需要と供給が現れてくるのである。
価格決定もこの中で行われている。貯蓄もあるとき、マクロでは(W=S+Iより)「賃金>消費高」の関係がある。日常的に消費される財の価格は、ざっくり言うとたいてい皆が必要としているものであって、だいたい皆が支払うので、賃金の多い少ないでいうと、少ない人の(ピラミッド構造での人口では多い)方が支払える金額に寄りがちになる。(恒常的に取引量が多いと利潤を得やすいので価格設定が低くても安定する。と思われる。)賃金の多い人は、貯蓄もしやすい。前回の話も思い出して、賃金で多く受け取れる人の分も考慮して(それが正常利潤であるようだったりもしてちょっと高く)価格設定される。もっと簡単に言うと、賃金としてアウトプットしたものが、市場からのインプットとして返ってくるときに、『特にマクロで集計したときには、アウトプットしたものがインプットとして集計される』のであるけれども(その割合は消費性向)、消費財部門のユニットの行動では、それぞれがアウトプットした賃金額を回収する為にそれ以上の価格設定が行われ(そうしないと継続的に再生産できない)、この段落の節の前後で不等号の向きが逆転していても、それでいて再生産ができるのは、投資部門・銀行が存在するという構造に依るものなのである(これは既出のネタ)絶対量として、どのように価格が決まるかは、鶏が先か卵が先かのようなお話で、いつか取引された水準から始めればよい。
とにかく、言いたかったのは、このout-inの経路の途中で、価格決定(設定された価格)が作用して、ひとつの結果が得られ、その次のターンで価格設定が変わることもあったりなかったりで、そこから、また次の結果が得られる・・・という行動を持続的に繰り返しているのが我々の経済活動なのである(当たり前のような話)。価格がどのように決まるかについては、今見た鶏・卵のお話に、賃金の分配構造と、次に確認する部門間の事情が関係して決まるという事でよいのか(!)一つ一つの商品の質まで検討して、議論を落とし込むのは大変だよなあ(丸?)

このよう(2つの太字の前からの続き)に、多くの人が同じように日常的に消費する財の価格は、(いくつの商品を集計した合計額では)だいたいピラミッド構造の低い人の賃金によりがちで、再生産されても、次回の再生産でも同じような決定が繰り返されると思われる。(なぜなら、次のターンでも再生産できるのでOKとみなす意思決定ルールで行動するマルチエージェントが、低めの価格でOKを返す行動が多いと、エージェントによらず同じタイミングであれば同じ金額で取引されるとして、繰り返しの結果で低めの金額に落ち着くと考えられるから。需要側が低い価格の時にOKとみなす事が多いことが、価格設定に影響する。)共働き世帯であるとか家族構成は割愛している。

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このページは、ゴン太が2021年4月 1日 21:55に書いたブログ記事です。

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