同様の商品が違う価格で売られていても、買うor買わないはそれぞれの個人の判断にゆだねられる。同じ商品でも高い方を買って損をした、あるいは移動する時間も考慮しすると高くない、または、わざわざ遠くに行って高いものを買った。高い方を買った方が満足度が大きい。
と、いずれであっても、次回の行動が可能なように判断するルールがあれば、意思決定の理由を決定するプロセスを設計しなくてよい。
食欲に関してもたくさん食べる人、少なくても充分な人など、個体差もある。どう使うのかある程度は、判断を自由に行えるように賃金量も膨らみをもっている。賃金を多く手にできる人もいる。その源泉は、投資・銀行の信用創造によってもたらされていた。その循環プロセスは前回までに確認していた。どう判断してもある程度は上手く機能しているようだ。
このうまくでいている膨らみは、神の見えざる手と関係があるのだろうか。供給側の「コスト+利潤」という単純な価格設定。利潤を目的として期待した生産活動あるいは公共ユニットから支払われる賃金の総量。
生産性が大きく分業しており、需要のうちのある部分を担うユニットが、論理的な市場で集まる。そこでは、賃金の差の考慮はなく、設定された価格で取引が行われるか否か。
庄屋制度のようなヒントになるかな。なるほど、もとから、賃金を多く手にできる人の為の設定も含まれているのか。それを知ってか知らずか、繰返しループの中で物価として表れる。複数のユニットで構成されており、そのバランスがどうなっているのか。産業構造論
(書きかけ)
需要の種類ごとに庄屋がおって、か。これは物語の舞台が日本っぽくなりすぎるかなあ。
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