マクロの消費性向のようなアレを、個人の行動の意思決定に流用して、「次回のターンでも動作可能とみなして当期に取引を行っていいとする取引量の割合い」と意味づけると、これまで流動性選好で説明さえていたものが、異なった意味付けになりそうだという直感。ケインズ様の思考とも相性がよいのではないか(?)学問よりなつっこみになってきたのでいかがしたものか。
2020年12月アーカイブ
数年前の〇ー〇〇賞のあれやこれはなんだったか。ここにきて初めて物語の外の調査をしてみることになった(保留)
つづく
手に持っている貨幣が例えば、貨幣量で「10,000」あったとしてそのうちの「100」は、言わずもがな「1%」だから、その人にとっては貨幣量「100」は「1%」の価値がある。
さほど難しくない議論で、「100」が「2%」の価値の人もいる。
では、貨幣量「100」で交換できる、例えばパンが1個あったとして、だいたい毎日同じようにお腹がすく人間であれば、そのパンを貨幣量で示した時に価値が異なっている事がわかる。
どこかでこういうことは、1度くらいは考えたことがあるかもしれない。大金持ちで紙幣を紙屑くらいにしか思わない人もいるかもしれないし、そうでない人は使い方を考えて大切にする人もいるだろう。
選好により価格・量で分析する経済学では、どの人間も同じようだとの想定で扱われているようで、ミクロ経済学の教科書にはその人の持つストックを考慮しての行動は記載されていないようだ。そのような想定で、資本主義経済を議論の対象にするときに、個人が資本家となるような場合について、分析が十分に行えないのではないかとふと疑問に思った。
もっと最近の経済学について追いかければいいのだろうけど、、
この点、「次のターンが動作可能か」ルール(しっかりと定義はしていませんけれど)の場合、毎ターンに必要なパンが1個であれば、上記のどちらの人でも「パンと貨幣を交換する」ことを選択するかもしれない。または、今は買わずに、そのターンの期間に、他の食べ物を探して交換するように行動するもしれない。その交換行動は、交換の対象がそれぞれの人にとって、貨幣量では同じであるが、その価値は異なるという事を認識した上で、判断・選択する行動であると解釈できる。
このようににして、当ターンで交換する財の組み合わせを合計したものが、マクロ的視座での当ターンの行動結果であり、単純合計で計算される。この結果が、次のターンに影響するのであればミクロ-マクロループとでも呼べばよいか。こんな事を書いているとそろそろどこかの検索エンジンでひっかかりそうだけど、ここの内容をテストの答案に書いても正解にはならないであろう事と、ましてや小論文にコピペしても評価されないのであるから、著作権は小生にあるので無断での転載を禁止致しますと書いておく。連絡が来てもすぐに対応はできないと思われるのでご了承ください。
まだ、細かい判断・行動については議論はしていないけれど、このブログから生まれたなんだか新しい試みであるように思ったので、ここでドヤ顔を恰好よく決めたところである。可愛いあの子が振り向いてくれたら嬉しい。振り向いてくれないと可愛いかどうか分からないという自己矛盾に気づいたところで、おあとがよろしいようで。ではまた次回思いつく限り。
[編集後記]
このブログの開設当初に扱ったような、公平な交換ルールを前提にするような出発点からはかなり異なった方向に進んできた。その道すがらでは、貨幣を用いる社会での交換は、情報量やタイミングによる理由で、公平ではなくとも行いうるという議論、何よりも人類が生きているという事実があり、そして社会の統治も話題に挙げた。数学や物理学で発見する普遍的な法則とは違って、いま現在を分析する為には、現在の社会の*前提*を分析の道具に適切に含める必要があるということでよいか。間違っていれば、またあとで気づくこともあろうけど、我ながらお勉強になった。
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